2008年 6月7日 
* 初めての廃村 〜日窒鉱山〜 *


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思い立って、日窒(ニッチツ)鉱山村へツーリングに。



秩父の小倉沢、山奥も山奥にあるこの廃村は、
高度成長期には株式会社ニッチツの鉱員さん達が暮らす鉱山村として
人口2000人を誇ったという。

1978年(私が生まれた年だ!)に金属発掘から撤退して以来、
村の規模は急速に縮小され、2006年には完全な廃村に。

ただし、鉱山の方はかつての栄華とは程遠いもの現役で、
細々とシリカとか石灰を掘り続けている模様。
現在はニッチツ関係者の方が管理の為に独りで住んでいらっしゃるとか。
(人口1人・・・!)

ブーチチの地を愛する旅人達の間では、
昭和のままで時が停まってしまったかのような姿を残す
貴重な廃村として有名だったようですが、
最近になって、とうとう建物の取り壊しが始まっとの噂。

モッタイナイと言う気もするけど、
安全面を考えると仕方がないのでしょう。

つわものどもが夢の跡。
せめて、当時の面影が残るうちに、この目で、肌で、感じておきたいものだ!

そう思い、梅雨の合間の晴れの土曜日。
GSX-R1000を駆り出掛けていったのでした。

というわけで、以下、いつもながらですが
コーフンしているので長いです。スミマセン。



今回の地図ですよ。

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道の駅、芦ヶ久保で朝食、兼、昼食。
自家製の冷やしかき揚げそば。
道の駅とはいえ、芦ヶ久保のメニューはなかなか侮れないのだ。



国道140号で、雁坂トンネル方面に向かい、
滝沢ダムから県道210号を中津川方面へ。
もうすでに山深く険しい道を行くと、
こんな看板が出てきてテンションが上がりまくりです!



冒頭の長く暗いトンネルを抜けると鉱山!
土曜日も関係なく稼働中なのでしょうか。
遠くからブワンブワンという静かな音が聞こえてきます。



お、小さな、小さな、街があるぞ。

とは言っても、時々ツーリングライダーが現れる以外は、人っ子一人いません。
工場の音のおかげで、怖い感じはしませんが。



なんと、郵便局は現役。郵貯も作れるよ。
関東でも最も到達困難な場所にあるという事で
民営化の波の中も生き延びてきたそうな。

ここでハガキを出して消印もらえばアツイなあと思ったけど
もちろんハガキは持ってませんでした、残念。



ニッチツ労働組合事務所。
今やただ朽ちるのを待つだけのようですが、
昔はきっと夜遅くまで鉱員達の熱い議論が交わされてきたのでしょう。



ワゥウ、ワゥウ、ワゥウウ!
突如、飼い犬の声がしてビックリする。
あ、きっとココが1人で住んでらっしゃる方のお宅に違いない。



かっくいい! 山肌に沿うように工場!
時折、あんな道をアレで? と思うような大型ダンプが出入りして驚かされます。



小倉沢中学校跡。
すごく良い感じですが、現在はニッチツが管理しており、
OBと社員以外はニッチツが認める理由が無い限りは立ち入り禁止。



きれいだなあ。
昭和51年卒業記念植樹、と書いてあるハナミズキの木が寂しそうでした。



いたる所にこの看板。
たしかにこんなところで火事になったら事です。
イメージとしては鉱員さん達はタバコ好きそうだもんなあ。



随所に白くて丸い石ころが散らばっていて、水槽のようだよ。
珪素が取れるというからそれなのかな。



ニッチツ社員の住居跡。
噂どおり、一番賑やかそうだった区画の取り壊しが始まっていました。

倒壊や火事の危険から、立ち入り禁止の看板が掲げられ、
窓や扉は釘で板が打ち付けてありました。
無断潜入して荒らす気は毛頭ないけど、残念だ。



鮮烈・・・。

廃村には、そこに人が生活していた姿がそのままで
置き去りにされてしまったものが多いそうだけど、
瓦礫の中にかつての生活を思わせるものが散らばってるのを見ると
なんとも言えない気分になる。



ナショナル。

人が死んだら天国には行かない、無になるだけ。
人に捨てられた街も、ガシャーだ。思ったよりあっけない。



ベニヤとトタンで囲っただけの電話ボックス。
中には決して鳴ることのない電話。



お、住居とは違った感じの建物が・・・。



どうやらスーパーのような処だったみたいです。
ショーケースがそのままになったり
「塩」とか書いた看板とか、アイスや雑誌の棚があったりね。
街の中心部だった事を匂わせる商店街の名前入りの電灯が哀しげでした。



かつての賑わいを思わせる共同浴場の跡も。
これが大変良い味だしてるという噂だったけど、
覗いてみると、すでに内部では取り壊しが始まってました。



平成12年と書いてある新しい掲示板。
ということは、ほんの少し前までそれなりに人が住んでいたんですね・・・。
破れ色あせたポスターは佐藤琢磨じゃないか。



いくつか集落があって、
ぱっと見ると、まだ人が居そうな雰囲気もする所も。
でも、もう、誰もいないのだ・・・。



独身寮と思われる住居や保育園の跡。
内を覗けば、ボロイ以外はほんとお休み中と言う感じで、
人がいなくなってしまった世界に迷い込んだような錯覚を覚えます。



入ろうと思えば入れそうだったけど申し訳ないので。
割れた窓から部屋の様子を伺ってみました。

勉強家だったのか、工業数学の本から事業の指南書まで
山のような蔵書に囲まれた部屋があったり、
カメラがたくさん散らばってる部屋があったり。

裸電球1個の狭い部屋の下に、
自分と同じく、分かんない将来への不安とか夢とか希望を抱えて暮らす
男やもめ達の生活が垣間見えたような気がします。



これはまたかわいらしい消防施設ですね。
この中に消防車が納まってる姿を見てみたかったな。



村を抜け、金山志賀坂林道をそのまま奥へ進むと
何かの小さな工場の跡地のようなところを発見。
中には当時の営みを思わせるようなものがチラホラと。



なんと、昭和50年、1月13日!
大雪だったそうです。



ペヤング。
ロゴは今も昔も変わらずのままです。

左に見えるのはメモ帳付きのカレンダー。
仕事のものと思われるメモが丹念に記されてました。
日付はやはり1月13日・・・。


さてさて。
ここで村もおしまい。

こっから先は、長く荒れた狭い舗装林道が続きます。
全くもって快走とはいかないけど、こういう道はダイスキ。
(っていうか、オフ車買えよと)



八丁峠からの見晴らし。

ここから志賀坂峠までは下り道。
しょっちゅう道が崩れたりしてるらしく、流れ出した土や砂利でいっぱい。
ちなみに3月に初の秩父ツーをした時は通行止めでした。

志賀坂峠から国道299で群馬方面へ下り、国道462、
道の駅「万葉の里」経由で県道71号こと土坂峠を走って
秩父方面へ戻ります。

土坂峠も前に土砂崩れの通行止めで走れなかったところ。
タイトだけどわりと良いペースで走れるところで
これはかなり気持ちよかったです。



土坂峠を下ると現れたのが合角(かっかく)ダム。
ダム好きの私も、合角ダムのカッコ良さには思わず嫉妬ですよ。



R299で秩父に戻り、ちょっと行ってみたかった正丸峠に寄り道し、
県道53号で青梅を通って帰りましたとさ。

かなり疲れて、そのままお風呂も忘れてバタンキュー。
アレ、今日は一食しか食べてないや。

ということで。
なんとか姿を留めていた村を見られて大満足。
けど全く無くなってしまうのも勿体無い気もしますね。
何か一部でも面影を残す事が出来れば良いのになあ。

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本日の走行距離 296km



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